「先生!偽善について」

そうそう、コンビニの募金箱にお金を入れることについて偽善とかそういうことを考えた事がある。
で、その昔、キャプテンキッドやストーンバスターという漫画を描いていた宇野比呂士さんが単行本内のおまけ漫画に描いていたことを最近思うようになった。
野比呂士さんは「たとえば貧困を救うための募金と交通遺児などはどっちの方がより重いの?片方だけに募金して、片方しないっておかしくない?そう考えていくと無限じゃない?じゃあしなきゃいいじゃん」って言う考えをしていたそうで、そんな時、アシスタントの方に「何かをしたいって素直に思った時に素直にそうすればいいじゃないですか。そこに優先度とかそういうのはないですよ。」とか言われて、それに納得し、それ以後寄付とかができるようになった。と言う話を書いてました。まぁ、私の勝手な記憶なのでどこまで正しく覚えているかは不明ですが・・・。
で、何かをしたいって思ったときにすれば良い。そこに偽善とか免罪符とかそういうことを考え始めるからヨコシマになるんだな。と思う様になったんです。別に見返りが欲しいわけじゃない。偽善という訳じゃない。なんだか自分の負担にならない範囲でできることがあるならそれをやっても良いんじゃないかな。と思うようになったんです。まぁ、それを偽善というのかもしれませんが。
って事で、別に他の人にコンビニの募金箱に入れろとか、赤い羽根をつけろだとか、ホワイトバンド買えだとか、24時間起きててマラソン見ろとかそういうことは一切言わないので、自分の負担にならない範囲でできることがあるならやることは別に良いじゃないか。
そして、志がある方は自分の負担も省みずにやって行ければいいじゃないですか。
できること、やること、やりたくないこと、やったほうがいいこと、できないこと。そういうことを選択する自由は誰にでもあるでしょう?きっと。だから私はできる範囲のやりたいことをやっているだけなのだ。と。
まぁ、偽善者の欺瞞に満ちた詭弁だと言われればそれまでに過ぎないのかもしれませんがね。ま、そういうこと。