「先生!機が熟した!って言葉は」

ずーーーーーっと、「木が熟した」だと思ってて、つまり「木の実が熟して食べごろだ」という意味だと勘違いし続けていた、そんな食い意地が張っていた少年時代。今でも機が熟したと聞くと、そっちを思い出すし、「果報は寝て待て」も「家宝」だと思っていたし、「汚職事件」を「お食事券」だと思っていたくらいだし。耳から入ってくる言葉を頭で勝手に解釈していたりした。
さて、機が熟したって言うのは物事を行うのにちょうどいいタイミングになったという意味だが、この機が熟すのを見計らうのは結構難しい。とはいえ、何をするにも重要なのはタイミングであり、このタイミングを失すると同じことをしてもかなり印象が異なる。
今、パッケージの新バージョンリリースを目前にしているのだが、いまさらになってリーダーがこれってこういう方針で・・・とかって言う話をし始めやがった。そんな話は2週間前にごみ箱に丸めて捨てたくらい古い話でいまさらである。機が熟しすぎて腐って落ちたころに話されても困るのだ。
で、だ。つまりその2週間以上前に方針を話し合っている際に、適当に相槌をうっていたリーダーが今になってそれが気になり始めたって言う適当さにあきれきってしまった。同じ「方針決定をしよう」という意志であるにもかかわらず、今となってはもう遅い。あんた、適当だね。の落款を押さざるをえない。
また、そのリーダーは今のバージョンリリースが終わっていないのに、さらにその次を検討している・・・いや、確かにそれは重要だ。でもこっちのリリース作業をほったらかしにしてやるほどプライオリティは高くない。ただでさえ人が足りないのに明後日の方向を見られても困る。これも機が熟す前に収穫を検討しているせっかち、って言うかひとりよがり・・・という落款を押してしまう。
まぁ、何にせよやることはズレていないのだがやるタイミングがことごとくズレており、なんだかなぁ。という気持ちにさせてくれる。まぁ、もう。どうでもいいけど。