「先生!過去の自分(その1)」

プロローグ

まずは自分を振り返ってみよう。等身大の自分自身を見てみる事とする。
私は今年30歳になる地方のSE会社に勤める男だ。社会人となって7年目が終了しようという今は、SEとプログラマと営業と企画のそれぞれの仕事を少しずつやり、そしてどれもエキスパートになりきれていない。そう言う存在だ。オールラウンダーだとかバランス能力に長けていると言えば聞こえは良いが、何でもできる代わりに何処に行っても中途半端というところが、自己のアイデンティティを著しく欠如させる一因でもある。
また、自分自身に対する評価は過剰評価と過小評価を行ったり来たりする。あるところでは自意識過剰であり自信もあるのだが、ある時には過小評価をする。さらに悪いことに、自分自身に自信があるところほど、自己卑下した言い方をし自分を過大に見せようとする向きがある*1
この文章を書き始める理由は、自分自身がある人を好きになり、そしてその思いは実る事なく散った。しかし、そこで終わっていれば、もっと単純に終わっていたのかもしれないが、その思いを引きずり続けて未だに昇華させることが出来ていない。そんな状態がもう1年も続いている。仕事にも人生にも支障をきたす様な状態になっている。だから、自分自身を革めるためにも、ココいらで一度全てを露にして、自分自身を変えていきたいと思ったからだ。全くの自己満足。そんな目的だから、嘘偽りなく全てを書いていきたい。
さて、ではこんな自分を形成した生い立ちを軽く振り返ってみることとしよう。

小学校卒業まで。

生まれも育ちも高知で、大学卒業までまともに県外に出たことがない、狭い世界で生きてきた人間である。
幼稚園から小学校まで、絵に描いたような幼なじみと平和な幼稚園・小学校時代を過ごして来た。かわいらしい転校生に思いを寄せた淡い初恋や、今でいうツンデレ属性を持った幼なじみと楽しい日々を過ごしていた。ホント、あの幼なじみは確実に天然のツンデレキャラだったな(笑)
小学生時代は親友と呼べる友達が居た。間違いなく横山や山本、荒井なんかは私のなかで親友として記憶されている*2。正直この頃までの自分はクラスで1・2を争う秀才(?)であり、先生からの寵愛も受けた*3部類の人間だと思う。常にクラスの中心的位置に居た。あの頃の私は正直世界は自分を中心に回っていると思っていた。
しかし、その世界はそのまま単純に回っていてはくれなかった。

中学時代

中学1年の夏、親父が家を建てた。しかし、その建てた場所は今までの学区とはちがう隣町であったのだ。必然的に中1の2学期に私は転校を余儀なくされた。
転校した中学ではいじめにあった。今、世間の中学生が受けているほど陰惨なイジメというものではなく、からかいに近いものだったのかもしれない。だが、それまで何処に居てもクラスの中心に居た自分が隅に追いやられているという状況は自分自身で理解しがたく、耐えがたいものであった。泣きながら寝た夜も数えられない。学校に通いたくないなんて登校拒否のまねごとをしたこともある。とはいえ、ウチの親はそう言う事には厳しく、休ませてくれる事など一度もなかったのだが・・・。
中学2年に上がるころには保健室に行くことが多くなり、学力も途端に落ちた。理数系はまだしも、地道に努力しなければならない社会や英語などという科目の成績は最低レベルまで落ちてしまっていた。
ただ、一方では大人の前でいい子であるという事からクラス委員など目立つ位置に立たされる事も多かった。生徒会役員にも先生から推薦されるそんなポジションには居た。苛められっ子の委員長。まぁ、そう言う感じだ。委員長と言っても誰も俺の方を向くわけではないので、そこに委員長の意味はなかったのだが・・・。また、生徒会に関しては先生から推薦された俺に対して、内申点がヤバく高校進学がヤバいなという状況になっているクラスの人気者がマジ切れしてきた事がある。のび太のくせに生意気だぞ的な意味と、内申点稼ぎのために立候補しようとしている自分に先生の後押しというのが付いたライバルが生まれたからだ。その後、俺はそそくさと辞退をして、無事生徒会長にはその人気者が就任した。まぁ、胸ぐらつかまれて殴られたのはあれが最後か。
高校はそんな地元を抜け出したくて、無理して高知の中心部にある理数系の高校を受験しようと考えた。引っ越しをした関係上、学区が違うため、その学校に通うには倍率10倍程度の関門を超える必要があった。正直、内申点的にいうと理数は5なのだが、英語、社会は平凡な3、体育もいわずもがなの3、技術・家庭科は良くて5だったっけ。音楽は音痴だが、頑張って歌うので4みたいな成績でなんとか推薦入試を受けるレベルにまでは達したのだが、当然の如く推薦入試では落ちた。一般入試でもその高校を受験する事としていたのだが、万が一失敗したら高校浪人か、地元でヒドイと噂の高校しか行けない(2次先行枠があいてない)から、やめておけと言う周囲の意見に流されるまま、試験直前の変更期間に志望校を地元高校に変更した。ちなみに、地元高校はその年定員割れをした。

*1:その行為に対して嫌悪感も持っているのだが、一方で下げたハードルをいとも簡単に飛び越して見せた時の快楽を得たいという下賤な考えも持っているのだ・・・。なやましい。

*2:彼らがどう思っていたかは別として

*3:エコヒイキされていた