「先生!どうでしょうね?」

以下の記事、興味深く読ませてもらいました。

911ソーシャルメディアが生まれ、311で死んだ。

911でソーシャルメディアが生まれ、311で死んだ - のまのしわざ

うーん・・・確かに言う事で当たってる所もあるんだろうけどね・・・。という感じはしたが、もっと単純にモデル化できる箇所もあるかなぁ?と思ったりもする。正味な話、尖った所にいる人達はいろんな意味で尖ってるだけ。という気がした。
登山にたとえるなら、例えばエベレストの頂上とか、モンブランの頂上にいる人達の会話だけを聞いたら、そりゃ登山に関してとっても有用な話が聞こえてくるでしょう。でも、高尾山の上で会話をしたら、そりゃ有象無象の話が聞こえるでしょうねぇ。とはいえ、高尾山だって、大昔は登る人だって少なくて、有意義な話が聞けたスポットだったかも知れないわけです。
Twitterだのメールだの、一般人に普及して使う裾野が増えれば、そりゃ有象無象が増えてノイズがのりまくるわけですね。
さて、このノイズをうまく除去できるかどうか?という話に持っていかねばならないのですが・・・。この方の論旨は以下のように展開される。

tumblrはこれだけ輻輳したソーシャルメディアの中で唯一、淡々とした情報が流れてきました。しかも日常と同じくグラビアアイドル写真に紛れて地震原発の情報が入ってくるのです。なんというカオス、何という冷静さ。tumblrに次世代のメディアの在り方のヒントがありそうです。

911でソーシャルメディアが生まれ、311で死んだ - のまのしわざ

私にはTwitterが高尾山だとして、tumblrが富士山みたいな感じ。今考えなきゃならないのは高尾山でノイズを除去する方法であって、富士山で有用な情報が得られるよ。っていう話ではない気がする。
じゃ、高尾山でノイズを除去するには・・・という話になってくるんだけど、今の時点では情報を拾う側のリテラシに任されてて、「嘘を嘘と・・・」みたいな話に行き着くわけですよね。さて、どうしたものかねぇ。
Twitterに関して言えばリツイートするときにAmazonの評価みたいに評価が付けられればいいんですかね?そうすると、有用だと思う人達は拡散させ始めるけど、デマだと思う人達はそれに低評価をつける事ができる。情報に対してそれの信頼性を複数人で評価し、それらの評価を一瞥して判断できるような仕組みがあれば、少しはましなのかも知れない。と思いました。まぁ、公式リツイートじゃないとこの方法は難しいんだろうけど。
なんだか、解になったんだか?と言うまとめだけど・・・。